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IJKA発足の経緯

IJKA継承再発足の経緯

2006年8月15日、マスター浅井が逝去し、その葬儀に参加した後 各国のI.J.K.A会員さん達が、浅井家を訪問して下さり、みんなで今後の IJKAについて語り合いました、みなさんの要望で私に継承して欲しいという話が出ましたが、マスター浅井が亡くなったばかりで、その事をすすめる気にはなれませんでした。

同年11月ブルーノさんの主催でスイスに於いて、毎年行われる、マスター浅井定例の技術講習会を、追悼キャンプとして行われました。
その定例会は、マスター浅井生前に、何年も続けて行われているものでスイスのBruno Kollerさんをはじめ、ドイツのOtto Riedingerさん、イタリーのGiuseppe Formentonさん、及び其の他の国の人達が、毎年参加してマスター浅井のもとでトレーニングを続けて来ました。 その11月の追悼キャンプに私も招かれて参加しました。

キャンプのトレーニング後、みんなでミーティングをして、此れからみんなで浅井空手を守って行こうと互いに励まし合い、私が、IJKAを継承する結論となりましたが、マスター浅井逝去によって精神的にダメージを受けていた私は、中々立ち上がる事は出来ませんでした。

その後も次々と多くの方が、海外からや、国内から訪問して下さり、みなさんの励ましにより、2008年頃に、私は少しずつ立ち上がる事が出来る様になりました。
その時の訪問者の一人がアメリカ在住の横田耕作氏でした。
彼は英語ができるので、本人の申し出もあり、英文担当をして貰う事になりました。副会長でも役員でもありません。そしてIJKAは彼と共同で立ち上げたわけでもありません。
2010年の始め頃、横田氏から空白の段位書を30枚程送ってくれと云う連絡があり、私は、「未だ準備中で組織は再発足していないのに空白の証書は、何の為ですか? 」と聞くと「奥さんの手を煩わせない為に僕が代りに発行する」と云いました。
「私は、それはできません」と答えましたが、審査を受けたいと云う、空手の生徒さん達の為に早目に3月8日に会を再発足させる様、立ち上げて、 空手会のルールに則った審査会を行って下さいと連絡しましたが、下記の通り返信が来ました。

*2010年3月12日受信の横田 耕作氏からのメール
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浅井先生奥様

3月8日に組織を立ち上げられたとのこと大変おめでとうございます。
サイトで読ませて頂きました。遠いアメリカで喜んでおります。
これからI.J.K.A.の大きなご発展とご成功を祈っております。

小生も微力ながら浅井先生の空手を世界に広めてゆく努力をして ゆきたいと再び心に誓っております。

奥様も充分お体に気をお付けになって下さい。

横田 耕作
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以上、審査の事には何もふれず、そのまま、音信が途絶えました。

2010年、3月8日 IJKA 継承、再発足後は、マスター浅井生前の理想を受け継ぎ、独裁や少人数で組織を動かす事のない様に全ての事は、みんなで決めることにしています。

2010年5月15日インターナショナルミーティングをスイスで
2011年3月27日台湾台北、総本部哲彦館にて
2011年8月7日海外各国から指導員が集まり、総本部哲彦館にて
2012年2月19日台湾台北、総本部哲彦館にて
2012年12月26日、28日台湾台北、総本部哲彦館にて
2013年 4月13日台湾台北、総本部哲彦館にて
2013年5月5日スイスにて
2013年11月17日台湾台北、総本部哲彦館にて
2014年3月16日台湾台北、総本部哲彦館にて
行政ミーティングを行ってきました。(イベント内に掲載)

IJKAの主席師範 陳先生はマスター浅井と共に50年間空手の技を研究してきた人物であり、知る人ぞ知る、です。
現在、台湾の数万人にのぼる空手人口の90パーセント以上そして各市の空手道委員会の会長や指導者たちは、マスター浅井と陳先生が育てた人達です。 陳先生は 最も浅井空手を理解している、IJKAの主席師範に適した人物です。
理事長浅井惠子の空手普及歴は、「我が夫と共に空手道50年」と云う回顧録から抜粋すると以下の通りです。

1963年 マスター浅井と結婚後、彼がハワイへ空手を教えに行く前に台湾へ先に寄りました、そして陳先生と、その白鶴拳の兄弟弟子達と、武術交流を行い、ハワイの五年の空手指導の任期が終わったら台湾へ空手道を広める為に帰って来ると固い約束を交わしました。
ハワイ到着後、私は台湾へ空手道を導入し、創始する為には莫大な費用が かかる事を予想して、全てのエネルギーと時間を、仕事に打ち込みました。
日本語、中国語、中国舞踊を教えたり、キクテレビ局に於いて、TV番組の制作をしたりと、収入を増やす事に専念しました、中でも あるウエディングドレスのオーダメイドのお店でのアルバイトが一番辛かったのですが、高級ドレス故にすその縫い上げは、ミシンでなく手縫いでと云う事でした、私は、女優出身なので、針仕事をする機会が少なく、とても苦手でしたが、 アメリカの女性で、それができる人は少なく、而も一枚の裾上げが、数百ドルも すると云うので、その収入は捨て難く、全ての仕事が終わってから徹夜で縫ったりしました。
そして此れ等の収入とマスター浅井の空手教授の収入、全額を五年間 全部預金しました。

五年後台湾へ到着後、マスター浅井の命で行政方面の全責任を負う事となり全台湾を駆け巡って、台中市,清水市、沙鹿市、員林市、彰化市、嘉義市、台南市、高雄市、屏東市,新竹市、桃園市、中壢市、台北市の各市に於いて空手道委員会を設立し、加えて各大学にも空手道の拠点を置きました。此れ等の地域をマスター浅井と陳先生が、幹部弟子達を引き率れて、無報酬で空手道の普及に専念し、其の他、テレビや各体育館で空手のエキシビションを行い私は、翻訳兼空手の説明なども担当し、日本本部から資格証明を頂いて幾つかの大学へ空手の指導にも行きました。当時台湾では空手の事を誰も知らなかったので、とても大変でした。
そして台北市空手道委員会初代会長に着任し、マスター浅井と二人の私財を投じて全台湾に約10個所の道場を造り、空手道をひろめました。

帰国した時は、二人とも無一文でした。
帰国後、新しく仕事を始め、マスター浅井の新しい空手組織の為にロゴデザインも、組織作りも協力し、毎年開催される空手大会のパンフレットに於いて マスター浅井の命により、掲載する文の一部を、私が担当して書き、月刊新聞をも一人で担当し、記事を書き、空手に関する文も書いて、私の自費で五年間発行しました。又、組織のホームページも日本文は私が書き、英文は外国の方に依頼し、その翻譯費及び、打ち込み人件費など、毎月約3000〜4000USドルを10年間全て私個人で支払い、管理更新をして来ました。
そして今なお同じ事をしています。マスター浅井生前の言い付け通りにーーー。
台湾に於いて全私財を投入した事も、無報酬で懸命に空手を広めた私も、其の後の支払い人生も、金銭よりも責任を重んじる武士道精神から発する行為です。

現在IJKAは、台湾台北哲彦館に本部道場を置き、主席師範 陳宏宗先生指導のもと、ヨーロッパ本部長Bruno Koller氏、イタリーチーフインストラクターGiuseppe Formenton氏、ドイツチーフインストラクターOtto Riedinger氏及び各国際指導員が熱心に浅井空手を普及し、みんなで仲良く和気藹々トレーニングをしています。

国際日本武術空手道会 IJKA
理事長 浅井惠子